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性欲の性差・男女の脳差を追加致しました。

性欲の性差・男女の脳差

男性の性欲の現出はペニスの勃起という明確なシグナルがあるが、女性の性欲は現象的に明確とは言いがたい。
冒頭で述べたように「女性には性欲 がない」などといった意図的言説の流布によって、女性の性欲の不明瞭さが増幅されたことは、容易に想像できる。
逆に、その反動としてフェミニ ズム、ジェンダーフリー論の勢いの中で、必要以上に女性の性欲を肥大化させている傾向もみられる。
その結果、誇大表示された「女性の性欲」が多くの女性に戸惑いを与えてしまっているようだ。
「全然セックスなんかしたくない、私って異常な の?」「不感症かしら?」「クリトリスで感じなければ」などなどと、誇大表示のメッセージに悩まされることになるようだ。
中には何が何でも男 女差をなくそうとする、変わった官僚や教育関係者も多いらしい。
この際出来る限り科学的に「男女の性欲の性差」を解明しておく必要がある。何故?出来る限りかというと、性欲の研究=脳の研究になってしまう からである。
旧皮質中心の動物実験で証明されても、それは傍証に過ぎない。新皮質のコントロールが顕著な人間に動物実験結果全てを、単純に当て嵌めること は出来ないからである。
人体実験を許容する世界はすでにないので、神経障害、性障害などを持つ人々から、逆説的情報が科学的臨床情報となって しまう。
それでもMRIなど、テクノロジーの進歩で、脳科学は長足の進歩を遂げている。医学、分泌学、心理学との連携で、近い将来男女の脳差や性行動 の性差などの全容解明がなされることを期待しよう。
また、脳とホルモンの関係というハードウェアーだけで「男女の性欲性差」を語ることは出来 ない。文化的、社会的背景の影響を受けて確立している、ソフトウェアーにおける性差もある。
この辺の性差は⑤で述べるとして、ここでは、筆者が現在入手した情報をもとに、男女の脳及びホルモンというハードウェアー中心に、男女の性欲 の性差を解説しておくことにする。

男の脳と女の脳は基本的構造は同じだが、各パーツやそのニューロンによっては、大きな違いが認められている。脳科学の分野から見ると、この違いが、たいした違いだとは思えないらしいのだが、こと男女のセックスとか性欲に関する分野では、大変大きい問題ととらえるべきである。
ジェンダー・フリー全盛を謳歌している人々にとっては、その論理の破綻(論理というより思想)への恐怖が迫っているのは、嘘ではないようだ。
男女の脳差が全て解明されていない現状では、「ではなかろうか」的説明が多くなるのは、ある意味仕方がないが、まあ、参考程度にしてもらおう。
人間の性欲が脳を中心とした生理的ネットワークで発現する事実を否定することは、もう出来ない。ということは、脳の男女差から「男女の性欲」 の差を見出すのがベターである。
男の脳と女の脳の違いは一言で、パーツの違いである。構造的に は同一だが、パーツの大小やそのパーツの神経回路、ニューロンなどの違いがある。一見たいした違いではないように思えるが、緻密なネットワー クで出来上がっている脳の仕組み、そこからの命令系統には、最終的に大きな差が出てくる。主 な男女の脳パーツの違いは

*脳重(男の方が重いが特に性欲に関係はない。男同士の脳重差がIQと関係している可能性を示す実験があるが性欲に関係はない)
*視床下部の内側視索前野にある神経核である性的二型核(男が多く、性的覚醒中枢ではと考えられている))、視索前野にある神経核・前腹側脳 室周囲核(女が大きく、ニューロン数も多く、下垂体の生殖腺刺激ホルモンとの関係が深いと考えられている)。この二つのことから男のとって重 要な性機能パーツは女より大きく、女の機能に必要なパーツは男に比べ立派に出来ているということが、云えそうである。
*視交叉上核という視神経交叉の上にある神経細胞群は24時間リズムの体内時計機能を持っているのだが、男女で形状に差が見られる。男が円形 で女が楕円なのである。残念ながら、現時点ではその差が何を示しているか不明
*左右の新皮質・大脳を連結する脳梁には大きな男女差が認められる。脳内の幹線高速道である脳梁の男女差は重大と思えるのだが、研究道半ばで 明快な答えはない。少なくとも、このレポートにマッチした情報とは異なる、言語能力や視覚空間能力などとの関係のようなのである。
*脳梁と同じように脳の連絡をしている前交連という交連線維の束にも男女差がある。女の方が大きい。このことは脳梁と同じなのだが、この交連 線維は扁桃体や側頭葉との連絡もしているので、旧皮質の情報交換度が高い可能性を示している。大脳の機能に旧皮質の影響が多く出てしまう可能 性を示しているかもしれない。性欲に関しては女の方が原始的・自然に沿っている可能性を示すか?男の方は知的というか、邪(よこしま)な性欲 がある?
*新皮質・大脳と視床下部の間にある大脳辺縁系はどうだろうか。ここは性行動など本能行動を調節、情動反応も司ることから快感などの動機づけ に関係する部分なのだが。ここには大脳機能の記憶などの一部機能が補完的に?存在していることが注目される。大脳辺縁系の中にある海馬がそれ にあたる。この記憶装置とも云える海馬や扁桃体に、実は男女差がありそうなのだが、動物実験では差が認められるが、残念ながら人間でのデータ はない。しかし、快感・不快感の記憶は、女の性欲が経験者と未経験者で大きく異なることから、男女の性欲の性差の重要ポイントになりそうな部 位である。
*同じく大脳辺縁系にある扁桃体の男女差(人間での実験データはないが仮説は充分成立)にも注目が集まる。ここは情緒反応を司っているが、生 物学的な快・不快や恐いなどの情動反応の部位と考えられる。性的対象を見分ける機能やおいしい食べものを見分ける機能も持つ。好みの異性を嗅 ぎ分ける機能もあるらしいと考えられている。本来、大脳の連合野が行っている機能の一部が委託されているという仮説が成り立つ。
*本来大脳新皮質で行われている思考機能が大脳辺縁系の海馬や扁桃体などと連携して、思考機能として動いている可能性が高くなっている。大脳 辺縁系が大脳と旧皮質系との間に位置することから、視床下部にある本能・情動・自律神経にも大きな影響を与えているという推論は、事実に近い 推論といえる。この重要な中間点に位置する大脳辺縁系に男女差があるであろう(動物実験では確認済み)となると、性欲の男女差の具体的相違が 近い将来証明される、明確な糸口になりそうである。

ここまで調べてみての筆者の感想的見解。
たしかに構造が同じでも、男女の脳ではパーツの差がある。脳におけるパーツの男女差は、性欲や食欲、自律神経の中枢である大脳辺縁部において の働きに大きく影響しているような感じである。
性の分化で判る通り、人間の原形は女であり、男はいわゆる分家人間といえる。本家は伝統や風習 を重んじる傾向があり、分家は流行に軽薄・自由である。
下手糞なたとえだが、男女の脳差にも同様の相違が見え隠れしている。あらゆる分野の研 究者も明言は避けているが、男女の脳差、性欲差などの存在を臭わす情報を提供している。
しかし、現時点で男女の脳差が決定的にどう違うかな ど”ぼかし”な結論が多いのは何故か?薄々判っているが、断言しにくい社会的環境もあるものと推測する。
男が大脳新皮質からの制御が強く、女が男よりは大脳新皮質からの制御を受けにくく、原形により近い大脳辺縁部の機能が勝っている傾向は、女が 男の原形という、いわば哲学的思考からも同感である。
だから男の方がウンヌンの話ではない。あくまで、性衝動における見解に過ぎない。男の場 合、この大脳皮質の未成長や障害、崩壊による影響は大きく、自律神経が早々にくたばるとか、勃起不全が起きたりするようだ。
女の場合、その傾 向が低くなり、あらゆる機能の障害を減少させることが出来るようである。
単純に性現象を中心に観察することでも、男女の性欲の差を知ることが出来る。女は脳下垂体からのホルモンで月経周期が起きる。この子宮の所有 は月齢や時間(特に日照時間)と身体の関係を密にしている証拠であり、性欲の現出に無関係であるわけがない。夫婦の場合、一般的にパートナー との関係によって性欲が喚起されるだろうが、独身女性のセックス体験時期が月経中間期に起きやすいという研究は注目できる。
つまり、性欲が高 まるということになるだろうし、オーガズム体験の頻度も高いそうである。排卵と性欲の関係はそれ程顕著ではなく、性欲中枢に僅かな情報が伝わ るだけのようです。
あくまで、外界からの刺激がメインで性欲が生まれます。ただ、性経験の有無、オーガズムの有無によって、女の性欲は大きく 違うと考えられている。
未経験の女の性欲は相当に怪しいもので、漠然性欲と単なる快感が混在していると考えていいでしょう。性欲なんて感じな い、でも好きな男がこれほど望むなら、応対するのが愛の証などという、恋愛感情が優先しているとも考えられる。
しかし、そうか女の性欲は大し た事はないなどと、早合点してはいけません、性経験を重ね、深いオーガズムを経験した女の場合には、男の排出・征服欲など比べ物にならない、 強烈な性欲を現出させることがある。要注意である。
中には望むところという男もいるだろうが、「無理、無理、止めときなさい」なのである。そ のような強烈な性欲の持主はスキンシップやクリトリスでの刺激快感で満足することはなく、常に内臓的オーガズムへの要求が強くなるもので、一 度に数回の勃起を求められ、それが連日連夜に及ぶもので、到底男の勃起のメカニズムを超越したところにある性欲なのである。
それに対して、男の性欲は下品で短絡的である。未経験でも、生意気に勃起する、そして排出に向かう。パートナーが居ようが居まいが、無関係と 言ってもいい。
排出・征服欲など性欲以外の感情でセックスに励む男も居るのは確かだが、そのような欲求によるセックスは「性欲」のレポートと は別の問題である。また、見境なく女に向けて排出する行為を抑制するのは、大脳新皮質の為せるワザである。
ジェンダーフリーにおける男女の性欲論「性欲の性差は本能的に作られたものではなく、『らしさ』によって、後天的に作られたもの」という言説 は、あまりと言えばあまりな言説で、信じる人も少ないだろうが、小学校の教諭グループに、このジェンダー・フリー論者が多く、子供が洗脳され る不安を持つ親も多いと聞く。完全に解明されていないために、脳科学研究者は強弁を使わないが、性欲の性差の存在は明らかである。少なくとも 「性差は後天的」という嘘に比べれば、相当真実に近いものだ。
ただ、男が能動的性欲を有し、女が受動的性欲を持つとか、男は視覚・聴覚から性欲を感じるが、女は視覚で性欲を喚起されないとか、女は子宮で 感じるなどの言説には、後天的要素があることは認めよう。この辺からは⑤の社会学における性欲の項へ

*おまけ1:マスターズ博士の性反応における性欲
マスターズ報告(1966)によると、人間の性反応を興奮期、上昇相、オーガズム相、弛緩相と分類したのだが、性欲は何故か抜けている。興奮 期にはどうしてなるのか、触れていないのである。つまり、身体的現象の観察からのレポートであり、脳科学、生理学、分泌学からのアプローチは 考えていなかったと考えられる。
おそらくだが、同博士が婦人科医であったということだろう。妻である共同研究者ジョンソン女史とカップルとして、産婦人科医として、性反応を 研究したためと推測できる。
「興奮期」の部分を見てみると、「快感が高まるとバルトリン腺から分泌液が増加、膣内・外性器が潤う。乳首が隆起し、クリトリスを含む性器が 充血、肥大する。膣も奥に広がり、子宮は腹部にせり上がる」と表現しているが、彼らは「快感が高まる」という言葉を最初に使い、目に見えない 脳やホルモン、神経細胞による「性欲」には触れていない。
その後、セックス・カウンセラー・カプランによると性欲期、興奮期、オーガズム期と なっているが、定番教科書?はM&Jの性反応で説明しているようだ。
M&Jにとって「性欲」は周知の事実という考え方あった のだろうが、「外的刺激による快感が性欲を導き出す」という考えしか知らなかった疑いも残る。
米国においてもMRIなどによる、脳への科学的 アプローチは1990年から本格化している。その点で、1966年時点での「性欲」に対する認識は曖昧だった可能性もある。
今後、脳科学・医学や認知脳科学の発展によっては、性反応・特にオーガズムなどの解明が詳細になされ、男女の脳差、性差、オーガズムの性差な どに新たな発見が見られることを期待したい。

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心理学と性欲

さて、身体における性欲のメカニズムは理解出来ただろうか?
ところで心理学における「人間の性欲」はどのように解釈されているのか、気になるところである。
実は筆者は心理 学と親しみのないタイプなので、この分野は正直苦手なのである。しかし、食わず嫌いを理由に無視することも出来 ない。

人間の心理と性欲の関係は、精神に異常をきたした患者を治療することから派生・発達した学問分野なので、心理学 や精神医学の領域でも正常な状況の「性欲」について語られることは少ない。
正常に性欲を持ち、正常に性行動する 「普通の状況の人々」の情報には、ある意味熱心ではないことになる。
しかし、その正常ではない患者の精神分析か ら、正常な人間だと「このようになっている」という情報が得られるってことになる。さしずめ、ここでの「さわり 情報」と考えていただきたい。
フロイト博士の心理療法の手段となる精神分析が、最も特徴的に「性欲」に注目している。人間は無意識の世界で「性欲」・性の衝動(リビドー)に 支配されているという「性欲理論」、その結果、人間行動をすべて性でとらえる「精神分析」を誕生させた。
古くさいとか、間違いだらけだとか、性衝動にこだわり過ぎるなどと、色々批判の対象になっている部分もあるよう だが、精神分析の祖としての地位は揺るがないものである。その「深層心理」の概念はいまだ健在であり、精神分析 の多くのシーンの基礎となっている。
フロイト博士は心の変調の原因を幼児幼少期の性衝動の為せる業と分析し、「幼児性欲」という考えを見出した。当 時「幼児性欲」という概念は常識的に受入れがたいものだったが、フロイトの「幼児性欲」の性欲は成人の性欲とは 異なる現象における性欲を意味していた。幼児期の性欲はある意味で倒錯した性欲というもので、性感が性器に集中 していない状況での「性欲」についてだったのだ。つまり、成人の性欲は脳と性器による性欲であり、幼児の性欲は 未熟な脳と五感で快感を得る性欲だということ。
・口唇愛期:生まれて1歳半くらいまでは、唇や口内粘膜で乳房を吸う感覚を楽しみ、乳の味覚臭覚を楽しむ。そし て、性衝動を満足させて眠る。
・肛門 期:1歳半くらいからは、肛門や尿道が発達、トイレの躾が始まる。この時期になると歩行、言葉が不完全ながら可 能となり、「いやだ」という意思だけ鮮明に表現するようになる。この時期になると、排便を好きな所、好きな時間 にしたい欲求が芽生え、両親の希望と自分の欲求との間で葛藤を見せる。こ の時期に排便・排尿の快感が身につく。この快感が「性欲」とも深いつながりがあるので、重要なポイントになる。
・男根期:3、4歳になると、男女の性別を意識する。男女の性器の感覚の分化が起こり、性器への刺激による快感 を発見する。この時期になると男女とも性器を何かに押し付け、或いは擦りつけると快感が走ることをえとくする。 また、幼児は男女の性器の違いや子供が何故生まれるかとか性行為に感心を持ち始める。女子はペニスの不在に不公 平感を感じるとも言及。
・エディプス期:4,5歳になると、異性への性欲が意識下に出現してくる。その対象は異性は最も身近な異性であ る両親の一方に対してとなる。同性側の親が邪魔者になるが、勝ち目のない両親との三角関係に悩む時期だと言及。 フロイトはこの性的衝動を子供は自己の抑圧で乗り切ると考えた。その結果、親の態度や規範を自分の中に取り込 み、内在化させる「超自我」が完成される。この頃になると、子供が社会への一歩を踏み出すと考えた。
・潜在期:6,10歳になると、社会性を認識するようになり、エディプス期での挫折で「性欲」の抑制が可能にな る。学校という集団生活を経験、生活の中心が知識の習得に向かう。そのため、思春期の「性器期」が来るまで、 「性欲」は潜伏する
・性器期:10歳前後から始まる思春期、第二次性徴の発現と同時に、潜伏中の「性欲」が目覚める。今までの安定 は一気に崩れ、混乱の極致に陥る。「性衝動」の対象を両親・教師というもの等から、周辺の異性に関心が移動す る。幼児期には不明瞭で倒錯的だった「性衝動・性欲」が俄然明確な性器中心の「性欲」へと変貌を遂げる。この変 貌は相手を一個の人間・人格として感じ取れる時代でもある

以上のように、フロイト博士の幼児性欲概念は特に不謹慎だった訳ではないが、相当無理な論理でもあった。しか し、「性欲」を真正面から受止めた業績は尊敬に値し、当を得ている部分も多数ある。
筆者の独断的判断だが、フロイトの「肛門期」辺りまでが「本能性欲」に支配され、「男根期」辺りから「大脳性 欲」に支配されていたと「こじつける」と多少理解しやすい。フロイトはこの分析方法で精神治療(心理療法)を行 い、患者がどの段階で精神的に歪んだかなどを分析、その治療に役立てている。
その後、精神分析や心理療法はアドラー、ユング、アイゼンク、マズローらによって様々な理論が生み出され、現在 に至っている。当然今でも精神医療の現場では「性欲」という概念がテーマだがが、フロイト博士ほど執着はしてい ないようだ。
しかし、A10神経(快感神経)の発見で、古典派などと云われているフロイト博士の理論が見直される傾向も出て いる。蛇足だが、筆者の主張する、「クリトリス・オーガズム信奉疑惑」の未熟性快感説は同博士の考えと一致して いる。快感と女性のオーガズムの違いについては、何れ大論文でも書かなければと考えているが、あてにはならな い。

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