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社会学における性欲

仮に男女の性欲に性差がなかったら、どのような世界が展開するか、考えただけでもおぞましい。
否、面白いだ ろうか?避妊の失敗で国家的人口問題(少子化)は一気に解決されるであろうと考えるのは、筆者が性欲の塊の 男の所為であろうか、それとも「男らしさ」に毒されているのだろうか?
現在、最も元気のいい社会学上の男女問題はジェンダー論と言ってもいいだろう。「ジェンダー」というのは、 後天的に社会や文化の影響を受けて出来上がった「性別」のことである。先天的に備わった生物学的性別を 「セックス」と社会学では定義している。だから上記④までのレポートと言葉の使い方が異なることもあるの で、注意して欲しい。
ジェンダーはいわゆる「男らしさ」「女らしさ」という望まれる性・社会通念に対して異を唱えている。セック スにおける性差とジェンダーにおける性差を混同するなという言説である。
正統派のジェンダー論はセックスと ジェンダーを明確に区別しているが、ジェンダー・フリー論などになるとセックスとジェンダーの境界線が失わ れ、男も女も人間、故に全てが同じ、何もかも平等が正しいといった、多少奇妙な方向に走り出しているグルー プもあるようだ。
たしかに、「男らしさ」「女らしさ」という社会からの押付けで、ジェンダーが抑圧されいる現実は相当ある。 一部イスラム教社会の習慣や女性器切除などの風習は世界全体から見ると例外だが、キリスト教社会や日本にも そのような抑圧、強圧的ではないが社会的要請が個人にプレッシャーをかけている現実はあるだろう。しかし、 このようなものの中には、民族や国家の歴史に根差している文化としての側面も尊重される必要もあるわけで、 議論の尽きない問題でもある。

レポートの性格上、ここでは日本の社会学上の性欲を中心に考え、参考にしてもらうことにしよう。
まずは、「性欲」という概念がいつ頃からあったのかということになる。類人猿の時代からセックスにおける性 欲は何らかの形で存在していた。それが人類によって、より鮮明に顕在化してきた。
このように考えると、人類 の歴史が始まって以降、性欲はあったわけだが、社会学の概念として一般化したのは、日本では明治30年頃の ことである。勿論、万葉集など古典文学から西鶴文学に至るまで、「性欲」は文学のテーマとして、常に主役を 演じてきている。
しかし、ここでは社会学上の性欲をレポートする視点で考えを進めたい。横路にそれる方が楽しそうだが、そう もいかない。残念ながら、社会学上の性欲を追いかけていくと、明治、大正、昭和の「性の悪しき言説」を素通 りすることが出来ない。日本における近代という世紀は”欧米に学べ”と”封建文化の破壊”が国家的パワーの 源泉であったため、あらゆる”トンチンカン”な言説やご都合主義の科学などがまかり通り、キリスト教文化と 無宗教文化が混在と混沌を繰り返し、それを未経験者たちが、寄って集って歪曲した時代でもある。フェミニズ ム論者に、この世紀の話を持ち出し議論する好機を与えているともいえる。
しかし、社会学上の性欲概念が明治から始まった以上、当然議論のテーマにのぼることは避けられない。本来は 江戸以前の日本の性文化こそが、社会学上比較に重要なはずなのだが、残念ながら「養生訓」「女大学」などの 社会学的文献も少なく、研究の対象とはなり得ないようだ。文学における性文化を引き合いに出すこともできる だろうが、文学と社会学を同列で論じるのも乱暴である。ということで、近代における日本の性・性欲から、解 説することになる。
いわゆる「性欲」という概念と言葉が一致して使用されたのは、日本では1900年のことである。「西田の哲 学と鈴木の禅学」と並び称された禅哲学者・鈴木大拙の「性欲論」が初めてである。その後、頻繁に誌上に「性 欲」という言葉が教育・哲学書に現れる。文学では鴎外、花袋、啄木、二葉亭、など等がテーマ化する動きを見 せている。

当時は、「生殖欲」と「性欲」は別の概念として捉えられていたようだ。全体として、「生殖欲に根差す性欲」 は善、「欲情に根差す性欲」は悪といった様相を示している。
性欲の男女差は「男が強い」説が圧倒的優勢だったが、中には女の性欲の強さを 同等以上と認めている研究者もいたようだが、その言説は葬り去られたようである。否、アンダーグラウンドで 脈々と生きていたとも言える。
市井の研究者の多くはこのことを知っていたようだが、権威がなく、マイナーな 世界でのみ生きていたようだ。この頃から、処女の性欲と経験妻の性欲の違いを指摘している。市井の研究者の 方が、現象に敏感だったと言える。
次にこの時代全体に「買売春」の是非が議論されている。当時の「性欲」は男の性欲をどうするかが中心だった ので、その「排出方法」が議論の対象になっていた。つまり、「公娼の必要と廃止」「マスターベーションの是 非」「禁欲の功罪」「性病の防止」である。
男の性欲は押さえ難いものという主張が優勢で、禁欲は問題外とされたようだ。方向は「買売春とマスターベー ションどちらが良いか」とか「男色と買売春のどちらが良いか」など、真剣に議論していたようである。
当時は マスターベーション有害説が圧倒的に優勢だったので、結論は見えていた。健康管理を国家が行う「公娼」の存 在は有意義であり、子婦女に感染させない為にも良いことだという、流れが出来た。ちなみに、マスターベー ションが善と認められるまでには、有害限定説(過度は毒)経て、1980年くらいから善に変容していく。し かし、女のマスターベーション有益説に至るのは、米国のフェミニズム運動の蜂起まで、待つこととなる。
全体的に当時の日本の性生活環境は、マスターベーション、同性愛、婚前性交に規制的環境が出来ていった。買 売春も本当はいけないが、溜まった物は出す手段として、最も弊害が少ないからOKという、必要悪的認めれ方 だったようだ。また、マスターベーション、同性愛は色情狂と同列で変態性欲と位置づけられていた。
1920年頃から、婚姻関係のおける性行為を善とする傾向が強まり、貞操とか純潔という概念が頭角を現す。 概ねこの傾向は女に遵守させる勢いが強く、男には出来れば守りなさいみたいな雰囲気があったようだ。
この頃 から「夫婦和合の鍵はセックス」という風潮が出来上がる。そして、オーガズムの存在も、一般に知られること となるのだ。戦後間もなくの1946年になると、「完全なる結婚」(ヴァン・デ・ヴェルデ)や後の「性生活 の知恵」(謝国権)によって市民化していくことになる。

1960年後半から、米国ではフェミニズム運動が盛んになり、一種女性の立場の階級闘争が展開して行く。こ れはマルクス主義の影響を大きく受け、また困ったことに人種問題や貧困問題で行き詰まりを見せてしまうこと になる。
19世紀後半に起きた女性参政権獲得などのフェミニズム運動に比べ、不自然な運動であった。しか し、女がセックスにおいて男からの独立を企む方法論は、運動の消滅にも関わらず元気に生き残ったのだ。
「自 分の性器をよく見よう、クリトリスで快感・オーガズムを」のメッセージは女性の性生活に、大きな波紋を提供 した。本家が死滅し、ジェンダー論・女性学に姿を変えた今でも、このメッセージだけは、元気に生きていると 言うのが、現状である。素晴らしい?都合のいい?情報だけは何時の世も残るものである。
その証明になるかどうか判らないが、1977年のハイト・レポートは画期的で、サイレント・マジョリティ だった女の性生活情報が、一気に噴出、世界を圧倒した。
おそらく、女のマスターベーションの公式認知年代は この「ハイト・レポート」の時期と一致する。その意味では、著者:シェア・ハイト女史はノーベル平和賞の受 賞に値する。(少し冗談が過ぎるか?)
この「ハイト・レポート」は19ヶ国で翻訳出版され、世界的ミリオンセラーである。しかし、実はこの「ハイ ト・レポート」には、翳の部分があるとの噂も絶えない。同女史がフェミニズムの強力な運動家であり、意図的 に告白を編集した疑いが持たれている。最終的にイデオロギー的臭いがしないこともないのは事実である。特に 「性における男不要論」「性革命」としてのクリトリス信奉と新しいセクシャリティの形成である。
目的が女性 の地位向上だとしても、クリトリス刺激でオーガズムというマスターベーション推進論に、多くの女性は眼を剥 いたに違いない。男は「嘘つきアンケート」と見るものが多かった。しかし、その後、イデオロギーなど全く無 色の日本の雑誌モアが同様の日本女性の告白本を発売、日本のセックスライフの潮流創りに、拍車をかけた。
1900年から1980年頃までの日本の性欲についての社会学的背景をランダムに、しかも省略しながら解説 したが、全体的状況の把握には役立ったと思われる。
それでは、その後上述の様々な日本人の「性欲」関連の諸問題はどのように推移しているのだろうか?考察は無 理なので、推察法で検証してみることにする。

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